国鉄最盛期の貨物取扱駅は全国に4,000以上あり、毎日14万両の貨車が動いていました。これらの貨車を1両ごとに行先別、駅順に仕分け整理し、貨物列車を組成するのが操車場です。
 操車場のほとんどが平面操車場でしたが、新鶴見・大宮・田端・吹田・鳥栖・稲沢では到着した貨車を人工の丘(ハンプ・坂阜)の上から転がし、重力を利用して目的の線路に仕分け作業をするハンプ操車場でした。特に新鶴見・吹田・稲沢は大規模で取扱量も多く、日本三大操車場と呼ばれていました。 本書では稲沢操車場にクローズアップし、建設以前から現在に至るまでの歴史的経緯と設備、配線、貨物輸送量の推移等を紹介していきます。

- もくじ -

PHASE 1 : 配線図と入換方
1.1 大正14年 開業時
1.2 昭和45年頃 最盛期
1.3 平成27年現在
PHASE 2 : 鉄道貨物輸送の歴史
2.1 鉄道建設初期(明治時代)
2.2 鉄道発展期(大正~昭和初期)
2.3 戦中・戦後復興期(昭和10~30年)
2.4 高度経済成長期(昭和30年代)
2.5 赤字転落期(昭和40年以降)
2.6 国鉄分割民営化以降(昭和62年以降)
PHASE 3 : 稲沢操車場の来歴
3.1 ヤード輸送とは 3.9 戦時輸送
3.2 稲沢操車場の建設決定まで 3.10 機能回復と発展
3.3 建設地の選定 3.11 カーリターダーと自動仕訳装置
3.4 建設費用 3.12最盛期の規模
3.5 操車場の設計 3.13 衰退
3.6 建設 3.14 稲沢操車場の廃止
3.7 開業 3.15 民営化とその後
3.8 開業から太平洋戦争開戦まで  
PHASE 4 : 現在の姿と今後の展望